9月, 2015年

最終回を受けて再びアップ、その4で紹介した 花井運転手さんの素晴らしい哲学 ふたたび

2015-09-11

九州一つの会IT黒子です。

当会会長の延岡旅行記の最終回を、先日アップしました。

しかしその前の話のアップからあまりにも時間がたってるため、会長がどうしてこの花井さんの話をたくさんの方に伝えたいと、大長編で書いたのか、

そのもっとも大きな理由、花井運転手の素晴らしい哲学、 再びアップさせていただきます。

ぜひご覧くださいませ。

★   ★   ★

 

素敵な延岡のタクシー運転手花井さんと再会した夜。とっても素敵な夜の観光案内の後、二人でちょっと遅い夕食に向かいます。
花井さんが連れて行ってくださったのは、洋食のレストランでした。

「宮崎はチキン南蛮が有名って知っているよね」
「はい、今は長崎でもチキン南蛮はありますから、 発祥が宮崎とはだいぶ長い間知らなかったんですが・・」
「実は、延岡が発祥の町なんだよ」

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「・・・、そうなんですか!!まったく知りませんでした。 宮崎市とばかり、すみません」
「そう思っている人が多いから気にしないで、PRがねえ、本当に課題でね」

うーむ私自身、延岡市といえば甲子園の延岡学園位しか、3年前に旅行に来るまで知らなかったもんなあ。・・・。
(2013年春の選抜準優勝おめでとうございます!)

二人でお店に入ると、偶然にもお客さんの一人が花井さんの知り合いみたいで、
「花井さん!お久しぶりです」「おう、こんばんは!」
席について 「お知り合いの方感じがよい方ですね、このお店でたまたま会うなんて、すごい偶然ですね。」
「うん、前の仕事のときの知り合いでね、一緒にいろいろとやったんだよ」
「前のしごと?」

花井さんは前のお仕事の説明を少しされ、そしてそのお仕事が終わってしまった理由も、淡々と話されました。
花井さんの了承を頂き、たとえ話で説明します。

ええと、大ベストセラー百田尚樹の「海賊とよばれた男」の主人公のお父さんは、藍染の職人さんでしたが、化学染料が日本に入ってきて、やがてお店をたたむことになりました。それは、お父さんの実力とか関係ない、時代の流れでどうしようもないことです・・。 花井さんのお仕事も、それと同じような時代が変わって、扱っていた品がだんだん必要とされなくなった・・・、そんな理由で終わってしまったのです。

「まあ、時代が変化に気づいて対応する努力が足りなかったといわれたらそれまでだけどね(そんな・・・)
前の仕事のときも、それは仕事が楽しかったし、結構がんばってたんだよ^^」
「やり手さんだったと思います」
「で、このタクシーの仕事を始めて、タクシーの運転手として、可能な限りの努力をしようと思ったの」
「はい」   ・・・このあと、私の想像以上のものすごい哲学が語られていきました・・。
「タクシーは、JRやバスに比べて高いよね。だから高い料金を頂くだけのサービスは絶対最低限だよね、お客様に気持ちよくすごしていただく接遇は当然。前の仕事はサービス業ではなかったから、まあそういう努力から始めて・・・・」

(私が始めてお会いした時「感じがいい運転手さんだなあ」と思ったのも納得だ。お人柄だけでなく、「サービス」への努力に裏打ちされた接客をされていたのだ)

「そして、観光でタクシーに乗ってくださるお客さまに対しては、公共交通より割高なタクシーに乗って頂くのだから、公共交通を使用した時より、はるかに楽しんで頂き、
満足して頂かなければいけない。楽しい旅行にして差し上げる義務があるんだよね、それはもう絶対に。
それで、延岡や高千穂の歴史や神話を徹底的に勉強し始めたわけ。今「高千穂鉄道」がないから、高千穂にタクシーを使われるお客様もいらっしゃるからね」

「すごいですね、先ほど頂いた、お手製の神話の資料もそうやって作られたんですね」

「はは、そんなたいそうなものじゃないけどね。そうやって観光に関する勉強を始めて、そのうち、宮崎県内ほとんどの自治体の観光協会なんかを訪ねはじめて・・、いろいろその町の資料をもらって勉強したのよ。延岡からすごく遠い、内陸部の小林あたりはさすがに行ってないけど、それ以外の宮崎県内のまちをぜんぶまわったなあ。
たとえば、延岡から宮崎空港に利用くださるお客様に対して、1時間以上かかるその道中で、道沿いの町の歴史や神話を話せたら楽しんで頂けるし、また宮崎に来ようと思われるかもしれない。
そういう説明ってビジネスで来た方にも喜んでいただけて・・、そのうち、運転手仲間でそういう勉強会も始めたんだよ。」

「すごい!!」

チキン南蛮を食べながらうかがう、花井さんの哲学。

しかしその深さはまだまだ続きがあったのでした。

(その5につづく) その5はトップページの「コラム」から入ったらあります、ぜひご覧ください。

 

会長旅行記 延岡の素敵なタクシー花井運転手のおはなし その6(最終回)

2015-09-10

会長の旅行記、最終回です。これまでのお話はこちら ⇒ http://九州一つの会.com/date/2014/05

とはいえ、あまりにも時間があいてます。

簡単にあらすじを。 それは素敵なタクシーの運転手の花井さんとであった会長。 2回目の延岡旅行でもお世話になり、楽しい観光を楽しんだあとお食事をしながら、すばらしい花井さんの人生と仕事の哲学を聞いてさらに感動。食事の次の日も、花井さんの案内で美々津に連れて行ってもらうことに。さあ、会長の宮崎の旅はどうなるのでしょう。

★はじまりはじまり。

延岡のホテルは、花井さんもお勧めのホテル「メリージュ延岡」

http://www.merieges-n.co.jp/

ホテルメリージュ、とってもきれいなホテルです。
スタッフの方の接遇も抜群。
いろいろな地方のビジネスホテルに泊まるけど、
これは最高クラスでした。

朝屋上からみた延岡の町の朝の景色は、それはきれい。

町はすごい高層の建物はなく、横に町が広がり、太平洋と反対側の遠くに山々が連なっているます

同じ太平洋側でも和歌山とはまったく違う。太陽の色も違う気がする。やはり九州って南国なんだ。

(読んでくださっている皆様へ。ここで写真があったらいいんですよね~すみません、ぜひホテルメリージュに行かれてください^^)

さあ、花井さんとの約束の時間。おお、もう来ておられる。
タクシーで出発です。

「美々津まで何キロくらいでしたっけ」
「う~ん20Kmちょいかなあ」
「うふふ、そんな長距離をタクシーで行って観光という贅沢は、私はじめてです~」

国道10号線を南下する花井号。右手に太平洋が見え、走りやすい国道を気持ちよく走っていきます。

花井さんもお話絶好調、いろいろなお客様の楽しいエピソードや、これから行く美々津、そしてクルスの海の説明など聞いてると、あっという間に日向市に入り、あっさりと美々津の海についてました。近い。タクシーだからだなあ・・。

海のすぐそばに海の神様を祭る立磐神社があり、まずこちらをお参りします。(後から見たら不思議な位置にある神社でした)

 

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そして、さあ、神武天皇が、東征に出向したとされる海です。

「きれいですね~~~、横に長い・・。海の色が本当に南国ですよね~~」

「あそこにね、灯台がある島と、もう一つ島があるよね、あそこの間を神武天皇たちの船は通って、東に向かい二度と帰ってこなかった。だから、今でも地元の船はあそこを決して通らないんだよ」

「へええ~、1000年以上も誰も通ってない海上の場所って、こうして見えているのに不思議な感じですね」

あの二つの島の間をとおった神武天皇(そのときはまだ即位してないけど)は、そのまま北東へ向かい和歌山の海から上陸したのそうです。

あっ、その上陸のまちは、和歌山新宮市(熊野那智大社があるところ)だ。私は数年前行ってた、そういえば。

新宮の小高い場所にある神社に、1月の寒い時期に朝一番に一人いって、海に上る朝日を見てたとき、日向を出発した神武の船は、今私が見ているこの海に現れ上陸したのか~、と思ったのを思い出してました。

(この時点、神武天皇が宮崎を東征出発したのもたまたま知ってました)

その数年後、そのときは知らなかった「神武天皇が旅立った海」に誰かと二人で来るとは思いもしなかったなあ・・、これぞ本当に不思議な感覚でありました。

本当に美々津の海は、平気で1時間くらい眺められるうつくしさですが「さあ、次の「クルスの海」に行こうか」と花井さんに促され出発です。

美々津の古い町並みの中を通ったとき、古い建物を利用した素敵なお店があるのに気づきました。

 

「今、美々津は観光のお客さん多くなってるんですか?」

「う~ん、まだまだろうけど、宮崎は高千穂が有名になって、若い女性が増えてるのは増えている、美々津も神話の舞台だから、少しずつだね・・。ああいうしゃれたお店もできてるし。これからだよね」

そうかあ、神武が上陸した新宮の那智大社と同じくらい、出向した美々津が知られるようになったらいいなあ。

さあ、願いが叶うといわれる「クルスの海」です。

美々津から10Km以上は離れているようでしたが、信号がそこまでないので、結構あっという間でした。

駐車場からは海はまったく見えず、階段を上っていきます。
展望台のようなところが上にあって、そこを進もうとする私に花井さんが言いました。

「あのね、ここからは僕が手を引いていくから、目をつぶって歩いてみて」

両手を花井さんに引かれ、花井さんは後ろ向きに進む形で
数メートルを歩き・・・、

「さあ、目を開けてみて」

「きゃああああ」

目を開けた瞬間、うつくしいうつくしい、クルスの海が・・・、ばーんと目に飛び込んできました。
昨日観光案内の写真では見てましたが、実物はそれどころではないわ。なんてきれい

しかも、花井さんの素敵な演出がにくいにくすぎる。
展望台について、歩くうちにだんだん、「ああ、あれかあ」と見えてくるより、このように目をつぶって、柵の手前で目をあけた瞬間、この風景がぼんと目に入るほうが、インパクトはあるし、数倍もきれいに見えるもの。

花井さんも、にこにこと、「きれいでしょう」

「花井さんのおかげで数倍きれいですよ~。本当にクルスだ~、本当に叶うという文字ですね、まあまあまあまあ」
とおばさん丸出しの、まあまあまあが出る。

海の色が南国の色というのも、数倍この景色を特別のものにしていると思う。岩の色との対比がより鮮やか。

写真はのせません、ぜひみなさんいってみてください!

午前中のまだ早い時間というのもあって、だあれもいない。

宮崎の海というのは、本当にきれい。南のほうの掘切峠なんか大好きなのだけど、この日向の海は、私にとってまたスペシャルな海となりました。

長崎~宮崎は本当に遠いのだけど、もっとたくさんの長崎県民がこちらに来て、そしてたくさんの宮崎の方に、長崎の海を見に来て欲しいなあ。

駐車場に戻って、ふときずきました。

「花井さん 「米の山」って書いてある、米の山というお山があるんですか?」

「こっちの山がそうだよ」
「まあ!」

「米いのち」のわたくしが、ここに来たのは、まさに運命、お米のかみさまのお導きに違いない。

しみじみと、3年前からの花井さんとの出会いから、手配されたように、今、自分がこの地にいることを不思議に感じました。

そんな私を乗せた花井号は、うつくしい海とお米の山の間の道をすべるように進んで行きます。

この後は最寄り駅にお送りいただくのです、いよいよ花井さんとのお別れの時間が近づいていました。

 

花井さんは日向駅に向かってました。
最寄り駅は美々津のなのに、大きな日向駅に、何も言わずに向かってくれてました。

ふと、大御神社という看板が見えました「ああ、数年前に来たところだ」
飫肥~宮崎市~高千穂という、宮崎大縦断の、ひとりドライブをしたのですが、
高千穂に抜けるとき、「さざれ石?ってなんだろう」と、21時という時間に、
ちょろっと寄ったところです。

日向市だったのか・・。(地図も持たずに適当にドライブするのでこんなもん)

「大御神社って、美々津のそばだったんですね~」

「もしかして行きたい?でもごめん、時間が・・・」

「いえいえ、一度行っているし大丈夫です」

(きっと、次の予約が入ってるんだろう、時間を先ほどからちょっと気にされてる)
日向駅に着きました。

「まにあったああ、あとちょっとで宮崎行きの特急が来るから」

「えええええ?」

私は、駅に着いたら一番近いのに乗ればいいや、くらいの気持ちでしたが、
花井さんは、特急の時間を調べてそれに間に合うように送ってくださったのです。

観光した美々津の駅には特急は停まらないから、特急に乗れるように遠い日向駅まで、しかも特急の時間にぴったりと連れてきてくださったのです。

もうコトバになりません。
万感の思いで、「ありがとうございました」ぺこり

「こちらこそ・・、本当にありがとう」

優しい笑顔で、手をふって花井さんが行ってしまいました。

時間があるけど、ずっとタクシーを見送りました。

そして、私は、私はブルネイ賞をとったという、それは素敵で気持ちがいい、木でできた日向駅から、

それは気持ちがよ~く、しあわせ~な気持ちで、にこにこと切符を買って、にこにこと出発したのでした。

 

日向駅

おしまい。
全編を読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
感謝をこめて s

★加筆時BGM
ホロヴィッツ演奏
ラフマノフ作曲 ピアノソナタ第二番 変ロ短調

【先々週のNHKFMのホロビッツ祭りを「カセットテープ」に録音(アナログで笑われそうですが)

4日間放送された「ホロヴィッツ祭り}のラストの曲。圧倒的な演奏です。何度も「巻き戻し」、同じこの曲を聞きながら「本当に飽きないなあ」思いながら書き上げました。

ホロヴィッツを好きになったきっかけも九州内旅行がらみです。いつか書きたいですね

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